九月第三週 重陽を過ぎても蝉の声がやまず、縁側から差し込む西日が一層強く感じられる。白磁の湯呑みが残す円い輪染みを眺めながら、ゆっくりと煎茶をすする。 Sorry, Japanese only.

瀬戸環奈さんがなぜ熱いのか

二〇二六年九月・前頭三枚目(6位)。この書斎では、番付以外の事実は書かない。

秋の気配がようやく漂い始めた書斎では、古い文机の上が相変わらず雑然としている。窓の外からは、遠くを走る車の音と、どこかの庭木を揺らす風の気配がかすかに届くだけだ。私は老眼鏡のツルを指先で確かめながら、机の上に広げた最新の番付表を眺め直している。このところ、ランキングの表を端から端まで眺めるのが日課になっており、歳を取るごとに世間の風向きが変わる早さに目を見張るばかりだ。人々の欲望と名前が織りなす巨大な網のなかで、一際目を引く名がどこに位置しているのか、確かめずにはいられない性分なのだろう。

今月の番付全体を見渡すと、上位の顔ぶれには相変わらず不動の重鎮たちが陣取っている。大関の座には熟女がどっしりと控え、関脇の人妻や主婦がこれに続き、小結にはここには書けない行為の語がしっかりと食い込んでいる。その喧騒から少し下がった前頭三役の背中が見える前頭上位の席、すなわち六位という見晴らしの良い場所に、瀬戸環奈の名が堂々と刷られている。百語ある人名のなかで、この位置に名前を留めているというのは大した手柄であり、それ自体が世間の熱狂を雄弁に物語っている。なぜこの人名がこれほどまでに熱いのかといえば、それはただの文字の羅列を超えて、人々が特定の顔と響きに全幅の信頼を寄せ、時代の寵児として祭り上げる構造が綺麗に出来上がっているからである。

このようなランキングの仕組みは、江戸の昔から綿々と続く人間観察の延長線上にある。かつて人々は、吉原の遊女屋と遊女の名を格ごとに一覧にして競い合い、どの名が上か下かと朝夕の話題にしていた。案内書をめくる時の胸の高鳴りと、現代人がスマホの画面で目当ての文字を探す手つきには、驚くほどの共通点がある。数多ある選択肢の中から特定の名前をすくい上げ、自分の贔屓とする人物を上位に押し上げたいという欲望は、いつの時代も変わらない。名前は単なる記号ではなく、それを見る者の背筋をぞくつかせる魔法の札として機能しているのだ。

役者や遊女の名を世に知らしめる仕掛けは、いつの時代も商売の要であり続けた。江戸の文化が爛熟した頃には、人気の顔ぶれを一枚の紙に刷り上げて競わせる番付の文化が人々の生活に深く根付いていた。勧進元や行司といった相撲の格式をそのまま借用し、あらゆる世俗の事象を格付けして楽しむという趣向が、町人たちの心を捉えて放さなかったのである。名前が刷られるということ、そしてそれが衆目の目に晒されるということは、それだけで一つの文化的な事件であった。人々は贔屓の引きずり合いを面白がり、刷り上がったばかりの摺り物を手に入れては、誰がどこにいるのかと酒を酌み交わしながら語り合った。

ところが、世の中は常に順風満帆とはいかず、時には権力による厳しい締め付けが名前の流通を阻もうとした。江戸の昔、町人の娘の名を錦絵に記すことが禁じられた時期があり、絵師たちはあの手この手で抜け道を模索した。名前を直接紙に載せることがご法度となっても、人々は別の方法で目当ての存在を指し示し、その気配を嗅ぎ取ろうとしたのである。名を隠されれば隠されるほど、かえって人々の想像力は刺激され、熱狂は底冷えするどころかかえって燃え盛ることになった。禁じられたからといって欲望が消えるわけではなく、むしろ別の形に姿を変えて番付の隙間から這い出てくるのが世の常なのだ。

この人名の分布を冷ややかに統計の眼で見つめてみると、全体の百語のうち実に四割以上が人名で占められているという偏りの激しさに驚かされる。しかもその頂点近くにいる瀬戸環奈という名は、ただそこにあるだけでなく、周囲の数多の抽象的な言葉を従えるかのような求心力を放っている。人々はカテゴリーの海をさまよった末に、結局のところ具体的な個人の名前という港にたどり着く。数ある選択肢のなかで、なぜその名が選ばれるのかという統計の偏りこそが、現代の世相を最も端的に映し出している。名前というたった数文字の響きにこれだけの人間が群がる様は、民俗学の資料をひっくり返していてもなかなかお目にかかれない面白い現象である。

波間に揺れる貝殻の上に立ち上がり、風を味方につけて世界の中心へと舞い降りる女神の姿を描いたサンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』という西洋絵画がある。あの絵の中では、名もなき海の泡から奇跡のような美しさが突然に姿を現し、周囲の者たちの視線を一身に集めている。瀬戸環奈という名前が、数多の混沌とした欲望の波間からひょいと頭をもたげ、前頭上位という眩しい位置に立ち現れてくる様子は、あの絵の構図とどこか重なって見えてならない。絵筆が描いた伝説の誕生と、現代のランキング表の上で輝く名の勢いを並べてみるのは、いささか強引な見立てかもしれないが、世間に祭り上げられる個人の輝きというものはいつの時代も同じ色をしている。名を背負う者は常に、群衆の視線という名の荒波をその足の下に受けて立っているのだ。

目の前で湯気を立てていた煎茶もすっかり冷めきり、文机の隅に置かれたスマホの画面には今月の順位の推移を示す番付個票が細かな文字で表示されている。老眼鏡のレンズ越しにその数字を丹念に検分すると、隠居の退屈な午後も悪くはないと思えてくる。

サンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』
サンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』(1485年頃)
作品情報:サンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』 1485年頃・テンペラ・カンヴァス・ウフィツィ美術館(フィレンツェ)所蔵。画像:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

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